育児・保育が楽になるブログ@保育士かずこよ

保育のヒント、子育てのヒント、マネジメントのヒントを書いています。子どもがより良い環境で育つために、発信を続けています☆

過保護はやばい!子どもの幸せを考えてない親の行為

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こんにちは、現役保育士のかずこよです☆

 

今回の記事は、過保護っていけないの?について書いていきます。

 

子どもにどんな接し方をすればいいのか悩んでいる方や、自分は過保護にしているのかなと疑問に思っている方にぜひ読んでいただきたい内容となっています。

 

最後までご閲覧ください☆

 

 

 

過保護とは?

 

過保護とは「子供などに必要以上の保護を与えること。」-コトバンク

 

必要以上の保護ってなんだろうと思う方もいると思います。私も必要以上の保護ってなんだ?と疑問に思っております。

 

例えば

靴下を自分で履けると知っているのに履かせてあげてしまうことは過保護?

食事を食べさせてあげることは過保護?

 

保育の現場ではどこまでの援助が過保護になるのかわからないまま保育をしている時期がありました。

 

そんな中、ジャンジャック・ルソーというかたを知りました。

この方が子どもを過保護に扱ったり、干渉することはいいことではない、というような内容の言葉を残しておりました。今回はそのジャンジャック・ルソーというかたを紹介して、自分なりに考察をしていきます。

 

 

ジャンジャック・ルソー

17世紀のジュネーブ共和国の哲学者の一人で、


自然を見よ。そして自然が教える道をたどっていけ。自然は絶えず子供を鍛える。

ジャンジャック・ルソー

という言葉を残しています。

 

中でも「自然の指導」というものでは、

 

自然の中では子どもは自発的に動き出す。そして動き出した中で、木の根につまずき転ぶことがある。すると次からは転ばないように木の根をよけて歩くようになり、次第に険しい山を登れるようになる。というような内容です。

 

じゃあ干渉・過保護にしてしまうとどうなるのかと考えると、

木の根につまずいて転ばないように声を掛けてしまうなどの援助、助言をすることで、安全に山を登ることはできますが、それを続けていくと、今後1人で険しい山を登れるようになるかといわれると、答えはNOです。

 

 

 

なぜ過保護はよくないのか?

 

 子どもは自然の中で自発的に動き出し、木の根で転んだり痛い経験をしていく中で学んでいる。そして次から転ばないように自分で思考をして、回避していき、険しい山を登れるようになる。

しかし、木の根で転びそうになった時に「危ないからこっちからいきなさい」「そこは滑るからこっちからまわっていきなさい」と声を掛けてしまうと、子どもは言われた通りに進み、安全に山を登っていきます。すると、自分で思考をすることがなくなり、いつまでたっても助言がないと険しい山が登れるようになりません。

 

このようなことから私は、子どもが自ら経験をして、考えるようにならないと子どもは育たないのではないかと考えます。

確かに安全に山を登ることも大事だと思いますが、長い目で見ると助言は、あまり役にたっておらず、むしろ思考をする機会を減らしてしまっているため、良くないことです。

なので私は過保護によって子どもの思考力が育たず、いつまでも助言を求めたり、1人では何もできなくなってしまうと考えるため、「過保護はいいことではない」ということになりました。

 

どこまでのことが過保護か

 

過保護がいいことではないということがわかっていただけたと思いますが、では、どこまでの助言なら過保護にならないのかを考えていきます。

 

どんなとき見守りではなく、助言をするのか考えてみた時、「大きな過ちを起こすちょい前」が助言をするタイミングなのかと思います。

 

例えば「自然の指導」では、子どもは自然の中では自発的になる。とありましたが、子どもが3mの崖から今にも飛び降りようとしていたらどうでしょうか。

「ふむふむ、今日は自然の中で自発的になっているから見守ろう」とはならないですよね。

崖から飛び降りたら大怪我や死亡してしまうことが、目に見えていますよね。このときは「それは危ないからやめなさい」と言うのは過保護ではないのではないかと思います。

このように、子どもが大きな過ちをしそうになっている時は、助言してあげないと取り返しがつかないことになります。

 

しかし、逆に言えばこのような大きな過ちに出くわしていないのであれば、本来は見守ってあげることが必要なのだと思います。

ここでいう、大きな過ち過ちというのは、怪我により生活に支障がでるとか、これができないと生活に支障がでるとかといった、本人が困ることです。

 

例えばいつになっても自分で靴が履けないとか、着替えが自分でできないとか、食事が自分で食べられないとかです。これは子どもにとって大きな過ちだと思います。しかし子ども自体はこの過ちに気づきません。援助してくれる人がいなくなった時に初めて気づくことだと思います。しかし気づいた時には、どうしていいかわからないので困ってしまいます。

いつまでも、援助をしていると、子どもが「どうやったら履けるだろう」「どうやったら箸が持てるだろう」と思考をすることがなくなり、援助者に依存してしまい、その援助者がいなくなったときに結果的に困るのは子どもです。

 

これが果たして子どもの幸せでしょうか?

中には子どもが可愛いがために「子どもが死ぬまで、自分も死なないつもりだから、ずっとなんでもやってあげる」という方もいるかと思いますが、じゃあ、あなたがいなくなったらどうなるの?と考えてみてはいかがでしょうか。

その先の答えに、子どもが困らない答えがあるのであれば過保護でもいいと思いますが、子どもが困るかも…と思うのであれば、困らないように思考させる機会を増やしてあげるのがいいのかなと思います。

 

どこまでが過保護なのかに答えると

子どもが大きな過ちをしないようになるためには、今、この助言や手助けは必要なのかを基準に考えれば、それが過保護なのか過保護じゃないのかのラインを見つけることができると思います。

 

最後に・・・

保育者やお父さんお母さんが子どものためと思ってやっていることが、実は長い目で見ると子どもが育たない環境を作っているということがあるのではないでしょうか。

子どもに「これは過保護かな」と思った時には、「これを続けることで、子どもはどうなるのか。」と考えてみてはいかがでしょうか。

そうすれば自ずと答えが見えてくると思います。

今回の記事がみなさんの子育てや保育を考えるきっかけになってもらえたら嬉しいです☆

 

最後までご閲覧ありがとうございました。

 

みなさんの生活がよりよくなりますように…

 

 

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