深夜22時。
リビングのテーブルには、誠が用意した真っ白なA4用紙と1本のペンが置かれていた。
「さあ、恵。今夜は『葵の20年後』をデザインする時間にしよう」
恵は少し困ったように笑いながら、温かい紅茶を一口すすった。
「20年後? 今は来年の園の話をしてるんじゃないの? 気が早すぎるわよ、誠さん」
誠は眼鏡のブリッジを指で押し上げ、真剣な眼差しを恵に向けた。
「いいかい、恵。園選びは【航海】と同じなんだ。目的地が決まっていないのに、船の性能や豪華さ(園の設備)だけを見て乗り込むのはあまりに危険だよ」
誠は紙の真ん中に大きく『葵』と書き、そこから枝分かれするように線を引いた。
「例えば、恵。君は葵に『周りの空気を読んで、器用に立ち回れる子』になってほしいかい? それとも『周りに流されず、自分の好きを突き詰められる子』になってほしいかい?」
「それは……どっちも大事だけど」
恵は少し考え、ゆっくりと言葉を選んだ。
「私は、葵には【自分の足で立てる子】になってほしいかな。誰かに言われたからやるんじゃなくて、自分で考えて、失敗しても『次はこうしよう』って笑えるような……そんな強さを持ってほしい」
「【自律】と【レジリエンス(復元力)】だね。いい視点だ」
誠は淀みなくペンを走らせる。
「じゃあ、その力を育むためにはどんな環境が必要だと思う? 失敗をさせないように先回りして守ってくれる園かな? それとも、あえて泥だらけになって、転んで痛い思いをしても見守ってくれる園かな?」
「あ……」
恵の表情が動いた。
「今まで、私は『安全で、優しくて、至れり尽くせりな園』がいいと思ってた。でも、それだと葵の『自分で立ち上がるチャンス』を奪っちゃうことになるのかしら」
「その通り。もちろん安全は最低条件だけど、過保護と【適切な環境提供】は違うんだ。例えば、最近は『怪我をするといけないから』と遊具を撤去する園もある。でも一方で、あえて少し難しい斜面を登らせたり、自分で工夫して遊ぶ時間を長く取ったりする園もある」
誠は【例え話】を続けた。
「恵、君がもし一流のシェフになりたいなら、最初から皮をむいてある野菜が届くキッチンで修行したいかい? それとも、泥のついた野菜を自分で洗って、指を切らないように包丁の使い方を学ぶ場所で修行したいかい?」
「……後者だわ。大変だけど、その方が本当の腕がつくもの」
「葵の3年間も同じだよ。僕たちが話し合うべきなのは、『便利かどうか』じゃない。『葵にどんな経験のタネを渡したいか』なんだ。例えば、目先の漢字や英語よりも、生涯続く【好奇心】。これを重視するなら、毎日決まったスケジュールで動く園より、遊びを自分で作り出す園の方がいいかもしれない」
恵は、誠が書いた図をじっと見つめた。そこには「自律」「好奇心」「失敗を恐れない」といった言葉が並んでいる。
「誠さん。私、なんだかワクワクしてきたわ。今まで『どこに預ければ楽か』ばっかり考えてたけど、『この園なら、葵のこんな才能が伸びるかも!』って視点で見学に行ける気がする」
「いい兆しだね。でも恵、理想を掲げるのは簡単だけど、それには必ず【代償】が伴うんだ。明日は、僕たちが選ぼうとしている『教育』の裏側にあるリスクについても、しっかり話し合っておこう」
