「ねえ誠さん、最近の園のパンフレットを見ていると、少し焦っちゃうわ」
週末の昼下がり。恵はリビングに並べた数冊の資料を指でなぞった。
「こっちの園はひらがなや計算を毎日やるし、あっちは週に2回ネイティブの英語レッスンがあるんですって。
早いうちに読み書きができないと、小学校に上がったときに葵が苦労するんじゃないかって……」
誠は葵が積み木で黙々とお城を作っている様子を眺めながら、静かに口を開いた。
「なるほど。恵は『学力』というものを、バケツに水を溜めるような【知識の量】だと考えているんだね」
「そうじゃないの? 早くから水を貯め始めれば、それだけ余裕ができる気がするけど」
誠は微笑み、手元にあったスマートフォンをテーブルの上に置いた。
「じゃあ、【例え話】をしよう。
恵、このスマートフォンがサクサク動いて、素晴らしい写真が撮れるのはなぜだと思う?
最新のアプリを入れているからかな? それとも、強力なOS(オペレーティング・システム)が積んであるからかな?」
「それは……土台になるOSがしっかりしていないと、どんなにいいアプリを入れても動かないわよね。すぐフリーズしちゃうわ」
「その通り。幼児期の教育も、実はこれと全く同じなんだ。
読み書き、計算、英語……これらはすべて、後からいくらでも入れ替えが可能な【アプリ】に過ぎない。
それに対して、今の葵が遊びを通じて育てている『集中力』『知的好奇心』『試行錯誤する力』……。
これらは、一生その子の人生を動かし続ける【OS】なんだよ」
恵は、葵が積み木を高く積み上げ、崩れてはまた積み直している姿をじっと見つめた。
「最新のアプリを無理やり詰め込んでも、OSが未熟なら、小学校の高学年でガタがくる。
逆に、幼児期に『遊び』という名の高負荷なトレーニングで最強のOSを作り上げた子は、
後からどんなアプリ(知識)を入れても、驚くようなスピードで自分のものにしていくんだ。
これを専門用語では【非認知能力】と呼ぶんだよ」
「遊びが……トレーニング?」
「そう。例えば、砂場で山を作るのだって、立派なプロジェクトマネジメントだ。
どうすれば崩れないか考え、友達と協力し、失敗したら修正する。
このプロセスこそが、20年後に葵が社会で生き抜くための本当の力になる。
僕たちが探すべきなのは、『何を教えてくれるか』というアプリの充実度ではなく、
『いかに良質な遊びでOSを鍛えてくれるか』という土壌なんだよ」
恵は深く頷き、資料の見方を変えた。
「……本当ね。英語ができるかどうかより、葵が目を輝かせて何かに没頭できる環境かどうか。
そっちの方が、ずっと葵の将来を守ってくれる気がしてきたわ」
誠は葵の積み木のお城に、最後の一片をそっと添えた。
二人の目指すべき方向が、また一つ明確になった。
